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木村綾子 インタビュー

木村綾子インタビュー前編 「木の机の傷を見て、すごい温もりを感じたんです。誰かがいたという確かな記憶の象徴ですよね。」

今回登場するのは、テレビ番組「ラジかる!!」で才色兼備ぶりを発揮する一方、「世界ウルルン滞在記」ではメキシコを旅し、あるいは国文学の教養を生かした論文執筆、さらには女性誌の連載やJ-WAVEの番組のパーソナリティも担当するなど、とマルチな活動で注目を集めるモデルの木村綾子さん。
今になってそのありがたさをすごく感じるようになったと言う、木の温もりと香りに包まれた故郷での生活の思い出を語ってもらった。

──今日は国産材を使った小学校での撮影になりましたが、木村さん自身はどんな小学校に通っていたんですか? 建物自体は鉄筋だったんだろうと思うんですが、木と触れあうということで言えば今の生活よりもずっと身近にありました。たとえば廊下の木の色が濡れた感じになっていたり、さわったときに湿っていたりすると今日は雨が降りそうだってこともわかったりしたんですよ。図書館が木でできていたので、雨の日には木が水分を吸収して漂わせる香りのなかで本を読んだりとか…。教室の床も木目だったのでそういう香りはつねに感じていました。今日、お邪魔した学校でも、“ああ、こういう匂い、してた!してた!”って。目で見たときの懐かしいっていう感覚よりも、香りから蘇ってくる記憶のほうがすごく鮮やかですよね

──そういう木の匂いって好きですか? 好きですね。わたしが小さい頃に育った家は隣に山があって、そこでお兄ちゃんといっしょにターザンごっこをしたりとか、朝早く起きてカブトムシを採ったり、松ぼっくりや椎の実、ドングリを拾ったり。そういうことが当たり前で、遊びと言えばそういうことだったし、本当に木はいつも身近にありました。父も、わたしが遊んでた隣の山で遊んでたんだよっていうことを話してたし。
当時はそういうことを全然うれしいとは思わなくて、むしろ外国みたいなきれいなお部屋に住んでる友だちをうらやましいと思ったりしてましたけど。ウチはどうしてこんなにボロいんだって(笑)。100年以上経ってた家だったんで、いろんなところがミシミシいったり、“あそこは床が抜けるから行かないで”って言われる場所があったりして。だから、友だちには“アヤちゃんの家はおばけが出るから行きたくない”とかって言われたりしてたんですけど(笑)、今となってはそういう経験ができたことはすごく良かったと思ってるんです。家自体が国産材というか地元産材だったわけですしね

──家はその隣の山の木で建てたんですか? そうですね。家を改築するときは全部が全部その山の木で、っていうわけにはいかなかったんですけど、その山にあった木を持って来て庭を作ったりして。わたし自身は改築するときには自分が育った家がなくなっちゃうことがすごくショックで、“なんで取り壊すの?”ってすごく泣いて、それで手紙を書いたらしいんですよ。

──今まで住んでいた家に宛てて? そうそう(笑)。わたしはあんまり覚えてないんですけど、お母さんがそんなことを言ってました。親にしてみればしょうがないじゃないですか。生活できないくらいに老朽しちゃってるわけだから。でも、その手紙を読んで、昔の家と新しい家を何かの形でつなぎたいよねって話してくれたみたいで、屋根裏のどこかに昔の家の木を眠らせてあるということを聞きました。昔と今をつなぐものとして、目に見える形でこの柱はこうなんだっていうことはできなかったけれども、屋根の上で守ってくれてる、ちゃんとつながってる家なんだよって。
それと、ウチはすごく大きな門があって、それも残しておきたかったんですが何かの事情でどうしてもとり壊さなきゃならない、と。で、それがすごくいい杉の木だったんで大工さんが持って帰ってくれて、今はどこかの家で何かの家具にリサイクルされてというか、形を変えてちゃんと生きてるんだという話も聞きました。目に見えるところでつながるのはすぐにわかるから感じやすいですけど、でも目に見えないところでも生き続けてることがあるんだっていう。
たとえば、今わたしが味わうような木の匂いとか、木が呼吸したり木が乾燥したり湿気を帯びたりしたときに発するミシミシっていう音で木が生きてるんだって感じられることも、昔そういう経験をしたから今につながってると思えるし。“サークル・オブ・ライフ”というのは目に見えることだけじゃないということが最近はすごく感じますね

──いのちの循環を考えるうえでは、まさに木は象徴的なものですよね。 昔のものって今のものに比べると不便だと思えてしまったりするし、人の気持ちはやっぱり新しいものへと向かっていくからこそより住みやすい環境になっていくんだと思うんですけど、それにしても守るべきものとか昔からあるものと調和をとりつつ、共鳴させつつ、新しいものへ向かっていくことが今やるべきことだと思います。
昔のものをただ守り続けるっていうのもまたそれはそれで違うような気がするし。無理して逆行するのも時代の流れに逆らってるようで違うのかなあって思うし。人も自然も無理しない程度に調和したり共鳴できたりして、そこから生まれてくるものがこれから増えていったらいいなあと思いますよね。

──自分で家を建てる、あるいは新しい家に住むことになったらどうしたいと思いますか?
やっぱり木の香りとかが感じられるものにしたいと思うけど、それでもやっぱり便利なものを中心にして考えてしまうと思うんですよ。ただ、わたしの親が昔の家から引き継いできたものを目に見えない形ではあっても大事に守っているように、そこにあったものを使ったり、目に見える形では使えなかったとしてもどこかに眠らせておきたいなとは思いますね。できることなら、国産材を使ったりしたいなと思うんですけど。

──木そのものに関してあらためて感じることは何かありますか? 今日お邪魔した学校に木の教室がありましたけど、あそこの机に彫られてる相合傘とか傷を見てすごい温もりを感じたんですよね。それは、そこにあった確かなものであり、そこに人がいた、そこで誰かが何かをしてたという確かな記憶が残されているひとつの象徴だと思うんですけど。傷がつくことで、いろんな人が通って来た積み重ねを見ることができるというか。味が出るというか。木にああいう傷とかがついているとなんだか微笑ましくなってしまう。
それに、すごく温かかったですね。やさしい感じがしました。包まれてるというか。もしコンクリートの中でしか生活したことがない人がああいう空間に入ったらまた違うことを感じるのかもしれないし、わたしがそういう環境で育ってきたから懐かしさとか温もりを感じたのかもしれないですけど。それにしてもああいうものを愛しく感じましたね。(後編へ続く

木村綾子

1980年7月19日静岡県生まれ。
趣味は、読書、文章を書くこと、食べること。
明治大学政治経済学部経済学科卒業後、中央大学大学院文学研究科国文学専攻博士前期課程。大学入学とともにモデル活動を始める。
『SEDA』での連載、『PS』でのライター業を経て『国文学 解釈と鑑賞』論文執筆、作詞活動など文筆業も幅広く行う。