木村綾子 インタビュー
さまざまな分野でマルチな活動を展開している木村綾子さんに、木と触れあう生活について聞く第2回。 ──ふだんの生活の中では、木の話なんてあまり出ないんじゃないですか?
出ないですねえ。だから、以前に間伐材の話をうかがった時、間伐というのは大事なことなんだ、と聞いても最初はあんまりしっくりこなかったんです。だから身近なことに置き換えてみようと思ったんです。 ──すぐには馴染みにくい意識かもしれないですね。
それでも、そういうものによってわたしたちは生かされてるんだっていうことですよね。そういうつながっていくものによってわたしは生かされて、そういうふうにして循環になってるんだ、っていう。間伐の話を聞いたときに思い出したのはそのことです。そういうことは、対象が苗であったり雑草の場合だってあるんだと思うんですよね。たまたま間伐の話の場合は木だというだけで。対象が大きくなればなるほど、やってはいけないことなんじゃないかみたいな自分のなかの罪悪感とか踏み込む勇気も大きくなっていくと思うんですけど。そういうものは、じつは木だけじゃなくて生活の中のいろいろなところに隠れてて、そういうことを人間は生きるために選んでいかなきゃいけないんだなって。 ──木から産まれるもので、木村さんがいちばん興味があるのは?
わたしは本をすごく読むんですけど、本とか紙ももともと木じゃないですか。だから、間伐紙で作られた本がもっと普及したら、“この本は間伐紙で作られてるんだよ” “間伐材って何?”っていうふうにたどれたりすると思うんです。だから、そういうものがもっと増えたらいいなって思いますよね。間伐紙で作られた本にはすごく興味がありますね。 ──では、ますます身近なところで木に触れてみるのがいいかもしれませんね。 そうですね。木でもなんでも触れることでいろんなことがリンクして、“あっ、これもエコロジーってことじゃん”って思えたりすると思うので。大きく謳うよりも身近なことからっていうのがいいかなって思います。 ──木村さんの場合は特に、小さい頃の原体験が大きいようですね。 それは最近気づき始めました。思い返したときに、わたしには思い返せる思い出があるっていうのはありがたいことなんだっていう。 ──ただ、そういう思い出のもとになった山の森が荒れてしまっているという現状があります。 発展と上手に調和していくといいですよね。無理してもしょうがないですもんね。原始的生活とかしようとしても無理ですから。国産材を使うことも、できることからやっていけばいいんじゃないかなと思います。 ──そうすることのなかにつながっていくものがある、ということですね。 ウチの裏の山にはすごく大きな山桜があって、その山桜を切るときにはちゃんとおはらいをしたりしたらしいんですけど、そういう気持ちがあるんだって思って。知らなかったんです。わたしは親が話してくれたから知ることができたし、この先そういうことがあったとしたらわたしも引き継いでいきたいと思えたんで。そういうことがあったということ、あるいはその思いだけでも伝えていくことがいつかどこかで同じことがくり返されるときにつながっていくのかなあって思って。だから、そういう山桜の話を聞いたりすると、あらためて生かされてるんだなあと思います。 |
木村綾子
1980年7月19日静岡県生まれ。
趣味は、読書、文章を書くこと、食べること。
明治大学政治経済学部経済学科卒業後、中央大学大学院文学研究科国文学専攻博士前期課程。大学入学とともにモデル活動を始める。
『SEDA』での連載、『PS』でのライター業を経て『国文学 解釈と鑑賞』論文執筆、作詞活動など文筆業も幅広く行う。