白井貴子 インタビュー
白井貴子は神奈川県藤沢市で少女時代を過ごした。家の前にはうっそうとした森が広がり、お転婆だった彼女はその森の中を駆け回って遊んだと言う。その時期に培われた木への愛着を実感するのは、それからずっと後のこと。大人になってシンガーソングライターとして活動を続けるなかで、自分の原点として木を意識するようになる。今、彼女が育った森は開発の波にさらわれて、ほとんどかつての面影をなくしている。だから、いっそう彼女の木への愛着は深まっている。 ──白井さんにとって、森と言えばまずは遊び場という感じでしょうか? そうですね。小学校の頃は、“行ってきます”と言って家のドアを開けたらもう森でしたからね。しかも、ていねいに手入れされたというわけではなくて、なんでもない、本当の雑木林だったんですよね。 ──でも、その当時は特に大切なものだというような意識はないですよね? そこにあるのが当たり前でしたからねえ。いつも小学校に通う道が森を1周するような感じになってて、そっちを律儀に通っていくと小学校へ行くのに20分近くかかったんですけど、森の中を駆け抜けていくと5分で小学校に着いちゃうわけです。だから、よく森の中を通って小学校へ行ってましたね。 ──本当に気軽に通り抜けたり遊んだりするところだったんですね すごく覚えているのは、あるとき大雪が降ったことがあって、そのときには森の中に斜面になってるところがあったんですけど、そこで母が持ってたスキーで遊んだことがあったくらいで(笑) ──森の中って遊びの材料の宝庫ですよね 夏休み、ちょうど今頃ですけど、夕方になると木に蜜を付けに行って、翌朝の明け方早くにまた行くとその蜜を付けたところにクワガタやカブトムシが寄ってきてるんですよ。それを採ったりしてね。クワガタとかカブトムシは当たり前にいましたからね。 ──アーティストとしてデビューしてからの森との付き合いは?
自分としても不思議なんですけど、25歳くらいの頃から、自然と交信しているような歌が何曲かできたんですよね。 ──そういう曲ができたとき、当時はどんなふうに思ったんですか? よく覚えてないんですよね。それが自分でも不思議なんですけど、そういう歌を作っておきながら、実践がないからこれから立派な大人になっていくには足りないなあっていうことを薄々感じながら、でも音楽ビジネスにクタクタになってたんです。 ──そういうなかで、よく話されている通り、ロンドンで野生のマーガレットに励まされたりアフリカで自然とともに暮らすことの大切さに気づかされたりしたわけですね? そうなんです。だから、それ以来ずっと、音楽を作るときには“野生のマーガレット”のことを思いながらやってきたつもりなんですけどね。 ──そういう白井さんの原点にある風景が、今どんどん損なわれていっているのは大変なことですね
そうなんです。小さい頃はまさかここまで大々的になくなるとは思ってもいなかったし、人間が住むという行為を進めていくといとも簡単に森なんてものはなくなってしまうんだなっていうことも今、実感してますよね。あんなにいっぱいあった森がこんなに簡単になくなっちゃうんだって。1週間もあれば丸裸ですからね。そこにいくまでには、何十年ってかかってるのに。あるときにふと思って年輪を数えたら40年近くあったんですよ。ということは、ちょうど私がここに引っ越してきた頃に植林されたか何かの1本だったんだなあって思って。だから、ここで私と同じだけ生きて、でもあっさりと伐り倒されて。 |
白井貴子
1981年デビュー。「CHANCE」のヒットをきっかけに女性ポップ・ロックシンガーの先駆者的存在に。
1996年より3年間、NHK「ひるどき日本列島」のレギュラーとして活躍。エンディングテーマ曲「元気になーれ」で全国150箇所を旅した。
2000年神奈川県の21世紀の合唱曲「ふるさとの風になりたい」作曲。CD化。
2003年TBSラジオ環境キャンペーンテーマーソング「美しい地球」発表。今年、伊豆の森にエコロジックハウス&スタジオ建設予定。
2006年デビュー25周年にあたり、自身のバンド「TAKAKO & THE CRAZY BOYS」が18年ぶりに活動再開。
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>> TAKAKO SHIRAI OFFICIAL WEB SITE "TAKAKO SHIRAI THE PEACE ON EARTH"