白井貴子 インタビュー
木への愛着を再確認し、森が自分の原点と感じている白井貴子は、新しい引っ越し先もまた森で決めてしまった。今、そこに建てる新居の構想を練りながらこの国の木で家を建てることの面白みにはまっていきつつある。 ──森の未来についてどんなふうに考えていますか?
いろいろな夢を持っている学生とか子どもたちに、私の小さい頃のように森に接する時間が当たり前にないといけないと思うんですよね。 ──白井さんも子ども時代に森と深く関わったことが大きいんですよね。 そうですね。だから、自信を持って言えるし。人間は街がなくても生きていけるけど、森が、自然がないと生きてはいけないから。そういうことが体でわかっているというか、そういうことがわかっている子どもを育てていかないと、いのちを粗末にしたり、そういうことにつながっていくと思うんですよね。 ──森の中では楽しいことも怖いこともいろいろなことをセットにして体験するわけですからね。 そうなんですよ。気持ち悪いくらい(笑)。この間も、米粒ほどの体なのに足がこーんなに大きくてすっごい気持ち悪い虫がいたんですけど、その気持ち悪いと思うことが大切っていうか、楽しいんですよね。想像を絶する生き物がたくさんいて感動の嵐のはずなんだけど、親がそういうところで連れていかないから何も知らずに終わっちゃうし、たとえば“このキュウリは曲がってるから駄目”みいたいなそういう考え方から変えていかないと。 ──引っ越しなさる伊豆も森があるところなんですか? そうなんですよ。ここ(藤沢)がこんなふうになっちゃうってわかっていれば、ここにしたのにとも思うんですけどね。私は海も好きだから両方あるのがいいな、なんて欲張ってたらどんどん南下して伊豆まで行っちゃったんですけど、そこにこれだ!と思う森がありまして、そこに決めちゃいました。 ──その森はご自身でもいろいろと手入れされるんですか?
今はまだ勉強中なんですけど、この間、ある人に聞いたら、材木を作るための森はちゃんと間伐したりしてケアし続けなきゃいけない、と。でも、もともと自然の森はちゃんと自浄作用があって、枯れていったところから光が射し込んだりするっていう具合に自分で良くしていく作用を持ってるからって。 ──その森の木を使って家を建てるんですか? その森の木というわけにはいかないでしょうが、ただちょっと聞いたことがあって、昔の人たちは家を建てる場合に、まず人間が住むだけでの土地を、木を伐り倒してつくりますよね。そこで、東の木を伐ったら東の柱にして西の木を伐れば西の柱にしたって。で、今はそんなふうに全部その地方で伐った木を使うっていうことは無理でしょうが、それにしてもこの国のなかで育った木を使うってことが家のためにもいいんだろうなってことだと思うんです。 ──ご両親もいっしょに生活されるということですから、やっぱり木を使った日本家屋が落ち着くでしょうね。
そうですね。でも、両親はやっぱり立派な床の間があって、みたいな家を望んでるみたいですが、私は全然そういうつもりがなくて(笑)、近くの古い家から木をもらってきて建てるみたいなことでもいいかなって思ってるんですけどね。 ──建てる楽しみもあるし、勉強する面白みもある、ということですね? 本当に森がひとつあるだけで、大人になってもいろんなことが学べるし…。まあ、どこにいても勉強はできるんですけど、でも自分のものだと思えば大切にもしますからね(笑) |
白井貴子
1981年デビュー。「CHANCE」のヒットをきっかけに女性ポップ・ロックシンガーの先駆者的存在に。
1996年より3年間、NHK「ひるどき日本列島」のレギュラーとして活躍。エンディングテーマ曲「元気になーれ」で全国150箇所を旅した。
2000年神奈川県の21世紀の合唱曲「ふるさとの風になりたい」作曲。CD化。
2003年TBSラジオ環境キャンペーンテーマーソング「美しい地球」発表。今年、伊豆の森にエコロジックハウス&スタジオ建設予定。
2006年デビュー25周年にあたり、自身のバンド「TAKAKO & THE CRAZY BOYS」が18年ぶりに活動再開。
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>> TAKAKO SHIRAI OFFICIAL WEB SITE "TAKAKO SHIRAI THE PEACE ON EARTH"